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東京地方裁判所 平成7年(行ウ)7号 判決

原告

東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

松田昌士

右訴訟代理人支配人

力村周一郎

右訴訟代理人弁護士

秋山昭八

鵜澤秀行

被告

中央労働委員会

右代表者会長

山口俊夫

右指定代理人

高梨昌

猪瀬愼一郎

伊藤安

福地靖

齋藤文昭

被告補助参加人

国鉄労働組合東日本本部

右代表者執行委員長

小沢孝

被告補助参加人

国鉄労働組合東京地方本部

右代表者執行委員長

高橋義則

被告補助参加人

国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部

右代表者執行委員長

田淵正雄

右参加人ら訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、補助参加によって生じたものを含め、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、中労委平成元年(不再)第八四号事件について平成六年一一月三〇日付けでした命令を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告の自動車事業部総務課長が、被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部の東京自動車分会長宅に赴き、同人に対して国鉄労働組合からの脱退勧奨をした事実を認定し、不当労働行為(労働組合法七条三号)にあたるとして、救済命令(初審命令)を維持した被告の命令が誤りであるとして、原告がその取消しを求めるものである。

一  前提となる事実

以下の事実は、末尾に証拠を掲げたもの以外は、いずれも当事者間に争いがないか、当事者が明らかに争わない事実である。

1  当事者等

(一) 原告(以下「会社」という。)は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法及び旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律に基づき、国鉄が経営していた旅客鉄道事業のうち、東日本地域における事業を承継して設立された株式会社である。当時、会社には旅客自動車運送部門として、関東地方を中心とする一三の自動車営業所を管轄する自動車事業部があったが、同事業部は、昭和六三年四月一日、会社全額出資のジェイアールバス関東株式会社として分離独立した。

(二) 被告補助参加人国鉄労働組合東日本本部(以下「東日本本部」という。)は、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の下部組織であり、被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部(以下「地本」という。)は、東日本本部の下部組織である。被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部関東地方自動車支部(以下「支部」という。)は、地本の下部組織であり、支部には、自動車営業所ごとに分会があり、東京自動車営業所(以下「東京営業所」という。)には、東京自動車分会(以下「分会」という。)があり、昭和六二年一一月当時の分会の執行委員長は、古家信郎(以下「古家」という。)であった。なお、会社には、国労のほかに、東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄労」という。)等の労働組合がある。

2  古家分会長の国労からの脱退

(一) 昭和六一年四月当時、自動車事業部の前身である国鉄関東地方自動車局では、管理職を除いて全員が国労組合員であったが、同年五月、東京自動車営業所においては二八名が国労を脱退して国鉄自動車労働組合協議会を結成し、館山自動車営業所においては八名が国労を脱退して真国労自動車地方本部を結成するなど、国労からの脱退が相次ぎ、昭和六二年四月の分割民営化直後の自動車事業部における国労の組織率は、約四〇パーセントにまで低下していた。

(二) 昭和六二年九月二六日から同年一一月にかけて自動車事業部烏山自動車営業所において、同年一一月一二日以降宇都宮自動車営業所において、助役や所長からいずれも強制配転を仄めかすなどして国労組合員に対する脱退勧奨が行われたとして、東日本本部、地本、支部らは、地方労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てた(〈証拠略〉)。

また、東京営業所においては、同年一一月五日、異動を希望した国労組合員が異動の対象とならず、異動を希望しない国労組合員が水戸に異動するという配転が行われた(〈証拠略〉)。

(三) 支部委員長安斎和男(以下「安斎」という。)は、昭和六二年一一月一八日の支部三役・分会活動家会議で、国労からの脱退を示唆して委員長の辞任を表明した(〈人証略〉)。そのため、後任の支部委員長等役員選出のための支部臨時大会が同月二五日に開催されることになり、分会では同月二四日執行委員会を開き、大会代議員を決定したが、その際にこれからの分会のあり方についても議論となった。翌二五日の大会で安斎は辞任し、新委員長に田淵正男が選出された。

(四) 一方、会社においては、自動車事業部の東京営業所が、昭和六三年度中に東京都江東区越中島に移転することが予定されており、昭和六二年一一月ころにはその工事を始める必要に迫られていたことから、移転の担当課長でもあった自動車事業部の花崎淑夫総務課長(以下「花崎課長」という。)は、同月二七日午前、移転先の越中島の状況を見るため、佐藤幸一総務課労働係長(以下「佐藤係長」という。)を同道して同地に赴いたが、右視察の帰りに古家宅に立ち寄り、古家と面談した。花崎課長が国労の組合員宅を訪問したのはこの時が初めてであった。

(五) 古家は、同日午後六時から開催され、松林副分会長、関副分会長、島田書記長、町田乗務員会長が出席した分会三役会議において、当日花崎課長と佐藤係長が自宅を訪問したことなどを報告したうえ、国労からの脱退を表明したが、右松林らは古家に対し国労にとどまるよう説得した。また、その後、細岡寛司地本副委員長が、古家と面会し、同様の説得を行った(〈人証略〉)。同月三〇日、分会の執行委員会が、支部の田淵委員長らも出席して開催された。右執行委員会では、古家の国労脱退問題が中心議題となったが、古家は翻意することなく、翌三一日付けで国労を脱退した。また、同日付けで支部の国労組合員中七〇名近い組合員が国労を脱退した。

3  二人乗務問題

(一) 国鉄当時、東京から大阪又は京都へ行く高速バス(ドリーム号)は、関東、中部及び近畿の各地方自動車局に所属する乗務員各一名ずつが乗り継いで運転する方式(以下「乗継ぎ方式」という。)で運行されていた。ところが、国鉄の分割民営化後は、右各地方自動車局が別会社に属することとなることから、会社は、運輸省から、従来と同様の乗継ぎ方式で運行することは道路運送法上の問題があるとして、基点から終点まで同一会社の乗務員が責任をもって運行する自社責任運行方式へ移行するよう行政指導を受けていた。

(二) そこで、会社は、車両内に仮眠室を設けて二人の乗務員が目的地まで交代で運行する方式(以下「二人乗務」という。)の導入を検討し、昭和六二年六月ころから乗務員の試行的な訓練を始めていた。しかし、会社としては、二人乗務が要員・車両面において非効率であり、経営コストの増加となることから、今後分離されることとなるバス会社の経営を考慮し、従来のような乗継ぎ方式の可能性について、会社設立当初から、引き続き運輸省と折衝を続けていた。

(三) 右の二人乗務に伴う仮眠室は、バスの客席の下の荷物置場を改造して設置されることとなったため、国労がこれに反対し、同年八月一一日会社に対して、この問題についての団体交渉を申し入れたが、会社は組合に提案できるほどの確定的な計画はまとまっていないとして、翌昭和六三年一月ころまでこれに応じなかった。

(四) 他方、昭和六二年九月三日の新聞夕刊に古家の仮眠室の設置に反対する旨の談話が実名・写真入りで掲載されたため、右記事の掲載後間もなく、東京営業所長は、古家に対し、間違った考えを報道されて、二人乗務で運行している他社に迷惑がかかるので、今後そのような話はしないでもらいたいと注意した。

(五) 会社は、同年一二月九日、東鉄労との間で開催された経営協議会において、二人乗務問題について「会社としては、要員、車両の弾力的運用が可能な静岡県三ケ日インターでの乗継ぎを考えることとする。」旨の見解を明らかにした。そして、会社は、運輸省の了解を得たうえ、昭和六三年三月から会社と西日本旅客鉄道株式会社の各運転手が静岡県三ケ日インターで交互に乗り継ぐ方式で運行している。

4  不当労働行為救済申立て

東日本本部、地本及び支部は、昭和六二年一二月一日、東京都地方労働委員会に対し、会社を被申立人として不当労働行為救済申立てをし(都労委昭和六二年(不)第九八号事件)、同委員会は、平成元年六月二〇日付けで別紙一〈略〉の主文の救済命令を発した。会社は、右救済命令を不服として、被告に対し再審査を申し立てたところ(中労委平成元年(不再)第八四号事件)、被告は、平成六年一一月三〇日付けで右再審査申立てを棄却する旨の別紙二〈略〉のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、本件命令は、同年一二月二〇日、会社に交付された。

二  争点

昭和六二年一一月二七日、花崎課長が古家宅を訪問した際、同課長が古家に対して国労からの脱退勧奨を行った事実があるか否か。

三  当事者の主張

(原告)

1 花崎課長の古家宅訪問の経緯

(一) 花崎課長が、昭和六二年一一月二七日、古家宅を訪問した際に古家と話をした内容は、会社の当面の重要課題であった二人乗務問題が中心であり、同人に対する国労からの脱退勧奨を行ったことはない。

(二) 花崎課長は、同日朝、佐藤係長を伴って当時東京営業所の移転先である越中島の状況を視察したが、その途中、都営アパートが見えたので、佐藤係長が花崎課長に、新聞の投書欄に載っていた古家がこの都営アパートに住んでいることを話したところ、花崎課長は、古家とは初対面ではあるが、新聞に投書した本人でもあり、また、東京営業所固有の問題である二人乗務問題の当事者の代表でもある同人と面談して意思の疎通を図ることは無駄なことではないと考え、在宅ならば寄ってみようといったことから、佐藤係長をして、東京営業所長を通じて、古家が在宅なのを電話で確認して立ち寄ることとしたのである。そこで古家と会った同課長が、当時自動車事業部として最大の関心事であった二人乗務問題について古家に協力を求めたのは極く自然のことであって、そのほかに何ら意図的なものはなかったものである。また、右のとおり当初から古家宅を訪問する目的をもって越中島の視察に出かけたものではない。

2 古家の国労脱退の経緯

(一) 古家は、国鉄が分割民営化された新会社設立後も依然として分割民営化反対を唱え、自動車事業の分離にも反対し、労働協約の締結をも拒否している東日本本部や地本の指導方針にはついて行けないとする組合員が増加するなかで、組合運動の先輩であり、これまで一緒に歩んできた安斎に従って自分のとるべき道を慎重に考慮した結果、自らの意思で国労からの脱退を決断し、行動を起こしたものであり、その間に会社ないし会社幹部の意思が介入する余地は全くなかったものである。

(二) 古家が、昭和六二年一一月二七日夕の三役会議や同月三〇日の分会の執行委員会において、国労からの脱退の理由を花崎課長から脱退工作を受けたかの如き言辞を弄したのは、この時期に脱退の意思を表明すれば国労側からの強い慰留工作があることは十分予想されるところであり、それをくぐり抜け自己の意思を貫くため、仲間に納得してもらうだけの理由を付す必要に迫られ、やむにやまれぬ結果としてなされたものである。

(被告及び被告補助参加人)

被告の認定事実及び判断は、本件命令書記載のとおりであり、本件命令に誤りはない。

第三争点に対する判断

一  前記前提となる事実及び証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、古家は、花崎課長の訪問を受けた昭和六二年一一月二七日の午後六時、分会の緊急三役会議を召集し、その席上、当日花崎課長が自宅を訪問し、同課長から古家に対し「国労に残っていては駄目だ。」などと言われた旨報告したこと、その後、細岡らに対し、花崎課長の発言に「不当労働行為的なものもあった」旨の発言をしたこと、同月三〇日に開催された分会執行委員会において、国労脱退を決意した理由を、「自分は国労一本でやっていくつもりであり、花崎課長が自宅を訪問した時も、分会の副委員長でも書記長でも東鉄労に引き抜いてもよいが、自分は国労に残るし、配転されてもかまわない旨を伝えたが、同課長からは『あんたに来てくれなければ困る。』、『あんたを飛ばすわけにはいかない。』などと言われ、東鉄労に移るように説得された。そこで同課長に対し、自分が東鉄労に移れば、国労からある程度意に反する配転者を出さないで済むのかを確認したところ、同課長は、努力する旨約束した。これらの経緯の中で、自分としては国労脱退を決意した。」旨説明したことが認められる。

二  そこで、古家の右発言内容の信用性について検討する。

会社は、古家の国労からの脱退表明の動機について、古家はもともと自分の意思で脱退を決意していたものであるが、脱退を表明すれば国労側からの強い慰留工作があることが予想されることから、自己の意思を貫くために、脱退の理由として花崎課長からの脱退勧奨を受けた旨の虚偽の理由を述べたものと主張し、(人証略)は右主張に沿う証言をする。しかし、古家の説明する脱退の理由が、国労や分会を取り巻く状況に鑑み自己の判断で行ったというのであれば、その旨を説明すれば足りると考えられ(現に、安斎はこれに先立つ同月二五日に国労からの脱退含みで支部委員長を辞任しているのである)、花崎課長の訪問を奇貨として同課長から脱退勧奨を受けたという事実を捏造して脱退理由を説明すれば、後々国労と会社間の重大な問題に発展し、無用の混乱を招くであろうことが極めて容易に予見されるのであるから、分会の委員長である古家がそのような行動に出ること自体著しく不合理なことと考えられる。

また、古家の右発言に至る状況は、同人が花崎課長訪問当日に緊急分会役員会議を召集して脱退勧奨の事実を報告し、その後も繰り返し同趣旨の説明を行うという一貫したものであるうえ、説明の内容についても、同年一一月当時、支部は、会社から各自動車営業所において配転を仄めかした国労からの脱退勧奨が行われているとの認識を有しており、現実に東京営業所においても、同月五日に国労組合員の配転が実施されるなどしたため、分会内部で配転に関する動揺(すなわち、国労に残っていれば意に沿わない配転の対象になるとの懸念)が広がっている状況であったと認められる。古家の脱退理由の説明内容は、当時のこうした分会の状況や同人の置かれた立場を前提として、国労組合員の配転について花崎課長と約束を交わした旨を述べるもので、具体性に富んだ生々しさがあるということができる。

以上の点を考慮すると、古家の脱退表明直後の脱退理由の説明内容について、国労からの慰留工作をかわすために作った虚偽の事柄であるとする(人証略)の証言は俄かに信用し難く、会社の前記主張は採用できない。

三  ところで、会社は、花崎課長が古家宅で話した内容は、二人乗務の話題が中心であって、花崎課長が古家に脱退勧奨をした事実はなく、同人宅訪問の目的も、この問題について理解を求めるためであったと主張し、花崎課長及び佐藤係長は労働委員会の審問において右主張に沿う供述をし(〈証拠略〉)、(人証略)も同旨の証言をする。

しかし、会社において、本社の総務課長が現場の自動車営業所に所属する分会の執行委員長宅に面会を求めて赴くこと自体極めて異例のことであるが(〈人証略〉)、二人乗務の問題に関しては、当時会社として二人乗務方式に決定したわけではなく、もともと会社の立場としてもコスト面から乗継ぎ方式が望ましいとして監督官庁と折衝を続けており、古家宅訪問の約二週間後には東鉄労との経営協議会において静岡県三ケ日インターでの乗継ぎを考えることとする旨の見解を示し、現に昭和六三年三月から会社と西日本旅客鉄道株式会社の各運転手が三ケ日インターで交互に乗継ぐ方式で運行しているというのである。しかも、新聞に古家の二人乗務反対の投書が掲載されたのは九月三日であり、これに対しては間もなく東京営業所長が同人に注意を与えたというのに、その後二か月半以上も経て、二人乗務問題について理解を求めるためだけに、本社の課長がいきなり古家宅を訪問するということは、いかにも不自然というほかない。そして、当時分会及び古家が置かれていた状況や古家の同日以降の言動に照らすと、花崎課長が古家宅で話した内容が二人乗務問題についてだけであったとする花崎課長及び佐藤係長の供述並びに(人証略)の証言は、信用性に乏しいと考えざるを得ず、会社の主張は採用できない。

四  以上によれば、古家の脱退表明後の発言の内容となった、花崎課長が古家宅を訪問し、「国労に残っていては駄目だ。」、「あんたに来てくれなければ困る。」「あんたを飛ばすわけにはいかない。」などと申し向けて、分会委員長であった古家に国労からの脱退を勧奨した事実が認められ、花崎課長の右行為は、労働組合法七条三号所定の不当労働行為にあたるというべきである。

五  そうすると、本件命令の認定及び判断は正当であり、原告主張の違法は認められないから、その取消しを求める原告の本件請求は理由がない。

(裁判長裁判官 萩尾保繁 裁判官 片田信宏 裁判官 梅本圭一郎)

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